ユニークな気流条件下の流体力学

・概要
 火星大気風洞(Mars wind tunnel)や磁力支持天秤装置 (Magnetic suspension and balance system, MSBS) を用いたユニークな気流条件における風洞試験を行い,そのような条件における流体力学を議論しています.

・火星大気風洞
 現在,新たな火星探査手法として火星飛行機が検討されています.火星の大気環境は地球とは大きく異なり,大気密度は地球と比べておよそ1/100と低密度です.そのため航空機が得られる空気力は低下し,さらに低レイノルズ数での飛行となるため翼の性能は著しく低下します.そのような条件下で飛行に必要な揚力を得るためには,高速での飛行が求められ,飛行時のマッハ数は増大します.また,火星大気は約95%が二酸化炭素で構成されており,地球の大気組成とは大きく異なっています.従来の風洞設備では低レイノルズ数かつ高マッハ数を実現し,火星飛行機の飛行環境を模擬することが困難でした.そこで,我々の研究室ではこの環境を模擬できる火星大気風洞の設計開発を行いました.減圧チャンバー内に設置されたこの風洞は低レイノルズ数かつ高マッハ数での駆動が可能な他,作動気体を任意の組成に置換することが可能です.現在はこの風洞を用いて圧縮性低レイノルズ数の基礎形状周り,薄翼周りそして回転翼周り流れの研究を行っています.

%e5%9b%b33

1. 基礎形状周り流れの可視化計測
 円柱や角柱をはじめとする鈍頭物体は,ビルや橋といった建築物やケーブル,自動車等,様々な物体を単純化した形状,あるいは要素形状として考えられ,その周りの流れ場はこれまで幅広いレイノルズ数やマッハ数で調査されてきました.しかしながら,圧縮性低レイノルズ数流れは再現が困難であり,特に流れ場の知見が乏しいのが現状でした.そこで,基礎形状に立ち返りこれまで未解明であった圧縮性低レイノルズ数環境での基礎形状周り流れの解明に取り組んでいます.下図はシュリーレン可視化と円柱面上の圧力変動のPSDおよび位相差です.通常の風洞試験ではMach数0.5は高Reynolds数流れとなるためReynolds数依存性を見ることはできませんが,火星風洞を用いることで後流渦の生成位置の変化や円柱スパン方向の位相差に対するReynolds数依存性がみられます.

Mach数0.5における円柱周り流れのシュリーレン可視化: (a) Re = 1000; (b) Re = 2000; (c) Re = 3000; (d) Re = 4000.
圧力変動のPSDと位相差: (a) Re = 2000; (b) Re = 3000; (c) Re = 4000; (d) Re = 5000.

2. 薄翼周り流れの可視化計測
 低レイノルズ数流れでは層流剥離,乱流遷移,再付着といった流体現象により翼性能が支配されていると考えられます.非圧縮性低Reynolds数流れでは昆虫や鳥など生物の翼を模した(バイオミメティクス)翼型により低Reynolds数流れでの翼性能改善のための研究が行われています.しかし,生物の飛行は低Mach数領域のため圧縮性低Reynolds数流れで性能が改善できるかは不明です.本研究では圧縮性流れにおける揚力を流れ場の可視化や翼性能の評価を通じてそれらの現象を調査し,火星航空機の実現に向けた研究を行っています.下図は鋸状の前縁部を持つセレーション翼の表面圧力係数分布です.鋸部で生成される縦渦による低圧領域が観測され,Mach数の増加により低圧領域が拡大する様子が分かります.

迎角6度のセレーション翼面上の圧力分布: a) Re = 11,000, M = 0.46; b) Re = 13,000, M = 0.64.

3. 低圧環境におけるシュリーレン可視化のためのデノイズ技術
 火星大気風洞におけるシュリーレン可視化には信号雑音比が低いという課題点があります.これは,低圧条件で試験するため試験模型周りの密度変化が微弱であり,風洞外の大気揺らぎやイメージセンサノイズの影響が相対的に大きいためです.そこで,データ駆動科学を用いたデノイズ処理によるシュリーレン画像の高信号雑音比化に取り組んでいます.提案手法では,時系列シュリーレン画像の特異値分解により得られたモードから流体現象を表すモードのみを使用して元の時系列データを再構成することで,シュリーレン画像のノイズを除去しています.また,周波数領域で分離できるノイズに関しては特異値分解適用前にバンドパスフィルタで取り除くことで,特異値分解でのノイズと流体現象の分離を改善しています.下図は (a) デノイズ処理なし (b) デノイズ処理ありの場合の時系列シュリーレン画像です.図 (a) ではノイズの影響で流体現象が不明瞭ですが,図 (b) ではノイズが除去され翼周りの渦放出の様子が明瞭に可視化されています.

4. 回転翼面上の圧力分布計測
 低レイノルズ数流れでは回転翼面上に強力な前縁剥離渦が形成され,揚力が増大することが知られています.そのため,火星大気のような環境下では固定翼機よりも回転翼機の方が飛行に適していると考えられています.我々の研究室が持つ感圧塗料の技術を適用することで,空間解像度の高い圧力分布計測を行い,前縁剥離渦による揚力増大のメカニズムの解明を行っています.図左はPSPが塗布された回転翼模型に励起光が照射されている様子,右図はPSP計測で取得された圧力分布で前縁(右図下側)に低圧領域があることが分かります.また,低圧環境下でのPSP計測は様々な困難を伴うため,最適な実験条件の評価や雰囲気の酸素濃度を変更したPSP計測など低圧環境下でのPSP計測を改善するための研究も行っています.

火星風洞のチャンバ内に設置された回転翼模型(左)とPSPで計測された翼面上の圧力分布

・MSBS
 MSBSは,流路周囲に配置された電磁石によって生じる磁気力を用いて,風洞模型の浮揚・支持を実現するシステムです.これを用いれば,通常の風洞試験で避けて通れない支持干渉問題を解決できます.本装置では,電流値を変化させることで多自由度での模型の姿勢制御が可能です.さらに,電流値から模型に作用する空気力も推定することができます.また,静的な支持だけでなく下の動画のように模型を運動させることも可能です.本研究室では大きさの異なる2つのMSBSを使用し研究を進めています.1つは当研究室所有の0.3-m MSBSで,東北大学基礎空力研究用小型風洞 (T-BART) に取り付け可能です.もう一つは東北大学流体科学研究所が所有する1.0-m MSBSです.こちらは世界最大規模のMSBSであり,低乱熱伝達風洞に取り付け可能です.

1. 気流と平行に支持された円柱周り流れ (0.3-m MSBS)
 下図は0.3-m MSBSにより静的に磁力支持された円柱のPIV計測の様子です.MSBSを用いることで支持干渉がない流れ場の計測が可能であり,スティングなど機械的支持装置の影響を受けやすい問題設定においても精度の高いデータが取得可能です.また,空気力と同期して速度場を計測することで,後流と空気力の関係の議論が可能となりました.さらに,模型に内蔵できる無線通信式の圧力計測装置を開発することで模型表面の圧力も同期計測可能です.

0.3-m MSBSにおいて気流と平行に支持された円柱周りのPIV粒子画像

2. 磁力支持天秤による低細長比物体の浮揚とカプセル形状周り流れの研究 (0.3-m MSBS)
 薄い物体の浮揚はセンシングや制御の観点からMSBSでの浮揚が困難でした.センシング方法や模型を工夫することで薄い物体の浮揚に挑んできました画像はやぶさ計画のサンプルリターンミッションで用いられた再突入カプセル型の模型です.これまで0.3m-MSBSで浮揚させてきた模型の中で最も薄い形状となっています.試験部中心で安定して姿勢維持ができており、今後風洞試験にも適用していく予定です.
(最大直径70 mm, 幅35 mm, センシング部白色部分:直径56 mm, 幅14 mm, 磁石:直径40 mm, 幅20 mm)

0.3-m MSBSにおいて浮揚されたはやぶさの再突入カプセル模型

3. 気流と平行に支持された円柱周り流れの動的風洞試験 (1.0-m MSBS)
 MSBSは静的な支持だけでなく動的な支持も行えます.下図は1.0-m MSBS による円柱の静的(左図)および動的試験(右図)における後流の可視化の様子です.後流の変動周波数に合わせて加振した場合に後流幅が大きくなることが示され,円柱にかかる空気力が増幅されることを明らかにしました.また,動画からは後流の渦構造に違いがあることが分かります.

静的試験  動的試験

4. 非軸対称物体の風洞試験に向けた模型位置計測法の改良(1.0-m MSBS)

 東北大学で運用しているMSBSは模型位置計測手法の特性のため基本的に軸対称物体に対してのみ適用されてきました.しかし,航空機模型など実用上は非軸対称の模型を支持することが求められます.下図は1.0-m MSBS により磁力支持された宇宙往還機模擬模型の様子です.非軸対称物体の風洞試験に向けた計測法の改良がなされ,幅広い模型形状へ適用が始まっています.

1-m MSBSで浮揚された宇宙往還機模型

CC BY-NC-ND 4.0 This work is licensed under a Creative Commons Attribution-NonCommercial-NoDerivatives 4.0 International License.